1981年5月26日、7年間にわたる裁判の結果、プログラマであり弁理士でもあるS・パル・アシジャは、「スイフトアンサー」で初のソフトウェア特許権を取得した。
スイフトアンサーはデータ検索ソフトウェアだが、以後、そのウワサを聞いたことは一度もない。
このソフトウェアの唯一の歴史的価値は、あらゆる専門家たちが間違っていたことを証明したことにある。
ソフトウェアにも、特許権が認められることを証明したのだ。
連邦最高裁判所は、それまでのソフトウェア特許権訴訟に対して特許不認可の判決を下したが、それはソフトウェア全般に対して特皐許が認められないということではなかった。
訴訟を起こした個々のプログラムに対して特許が認められない、という意味にすぎなかったのだ。
アシジャはそれを証明したのである。
しかし、ダン・Bにとってその判決が出るのは遅すぎた。
シャック版を、さらに移植したものだ。
ビジカルクはすでに二歳になり、少しばかり疲れていた。
I社PCはプログラムや追加の機能で最大640Kバイトのメモリを利用できるというのに、ピジカルクは依然として64Kバイトしか使えない。
しかも、アップルV版や「トラッシュ別」版同様の古くさい機能しか持っていないのだ。
これからコンピュータユーザーになろうとする人間にとって、ビジカルクに圧倒的魅力はなくなっていた。
彼らは、何か新しいものを求めている。
ビジカルクがこれだけたくさんのマイクロコンピュータで利用できるようになった理由は、一つにはかってはパーソナル・ソフトウェアと呼ばれ、その頃にはビジコープと社名を変更していたダン・フィルストラの会社と、ダン・Bの会社ソフトウェア・アーッとの契約にある。
ビジコープは、ソフトウェア・アーッとの契約から逃れたがっていたのだ。
ビジコープはマサチューセッツ州のフィルストラのベッドルームで生まれ、やがて活気のあるカリフォルニア州に移って派手な家に落ち着いた。
しかし、シリコンバレーで起こるありとあらゆる出来事の真っ只中にいながら、ビジコープはソフトウェア・アーッとの契約に苦しめられていた。
Bとフランクストンに、ビジカルクを一部売るごとに依然として37・5パーセントの印税を支払っていたのだ。
ビジカルクの売上は、ピーク時には一カ月3万部にまで達した。
ピジコープは契約に従って、1983年だけでソフトウェア・アーッに300万ドル支払わなければならなかったのである。
どちらの会社も、これほどの額になるとは予想もしビジコープは、同じ印税率でビジカルク以外の製品も販売していた。
そのなかの一つに、M・Mとエリック・ローゼンフィールドが書いた「ビジプロット/ピジトレンド」がある。
ピジプロット/ピジトレンドは、ビジカルクの機能を拡張するプログラムだ。
ピジカルクやほかのプログラムからデータを取り込んでグラフを作成し、統計学的分析を加えてデータから傾向を読み取ることができるのだ。
株式市場の分析には格好のプログラムだった。
フィルストラは会社の負担を軽くするために新しい契約を交わしたいと思っていたが、彼には相手に変更を強いるだけの力はなかったp契約は契約である。
それに、プログラミングの厳密な規則を理解し、その規則に従うのがBとフランクストンの仕事の基本だ。
彼らのようなハッカーが、自分たちの有利な立場を放棄するはずがない。
契約のもとにピジコープが権利として持っている強制力は、ソフトウェア・アーッに対してフィルストラが希望するすべてのコンピュータにビジカルクを移植させることしかなかった。
そこでフィルストラは、Bにあらゆるマイクロコンピュータにビジカルクを務瞬植させたのである。
ビジコープにも、ソフトウェア・アーッにも、37・5パーセントという印税率が高すぎることはわかっていた。
現在、印税率は15パーセント前後が一般的だと言われている。
フィルストラはピジカルクの全権利を所有したかったが、二年間にわたって交渉を続けたものの両社が合意に達することはな大学院の学生には、さまざまな研究が割り当てられる。
Mも、大学院にいた頃に数多くの研究を割り当てられた。
ビジプロット/ビジトレンドはそのなかの一つ、MITのスローン経営学研究室での研究の最中に書いたプログラムがもとになっている。
TROLLという計量経済学のために開発されたモデリング言語を使って、統計学の論文を書いていたMの友人ローゼンフィールドは、MITのコンピュータシステムの使用時間を減らし、使用料を節約しようとしていた。
そこでMはこれに協力するために、彼がタイニーTROLLと呼ぶプログラムを書いたのだ。
これは、TROLLのマイクロコンピュータ用サブセットプログラムだ。
このタイニーTROLLはのちにピジカルクのファイルが読み込めるように書き直され、やがてピジプロット/ビジトレンドとなったのである。
高い印税率にもかかわらず、ビジコープは当時のマイクロコンピュータソフトウェア会社のなかで最も成功した会社だった。
成功した会社にとっては、ソフトウェア商売は紙幣印刷のライセンスのようなものだ。
アプリケーションを書く費用を差し引くと、利幅は90パーセント近くになるのだ。
たとえば、ビジプロット/ビジトレンドの価格は249ドル95セントだが、販売代理店にはその60パーセント引き、つまり99ドル98セントで卸される。
Mの印税はその37・5パーセントだから、一部あたり37ドル49セントだ。
ビジコープには62ドル49セント残り、ここからフロッピーディスクとマニュアルの製造費として15ドル程度を支払い、マーケティングのコストに約二5ドル払っても、まだ13ドル49セントの利益が残るのだ。
Mとローゼンフィールドは1981年と8ニ年のニ年間で、ビジプロット/ビジトレンドの印税として約50万ドルの収入を得た。
このソフトウェアが、もともとスローン研究室のタイムシェアリングシステムの使用料を節約することから始まったものであることを考えれば、これは大きな金額だ。
しかしダン・BとB・フランクストンは、ピジコープの本当おドル箱であるビジカルクからその10倍の金を稼いでいる。
M・Mは、この違いにどんな意味があるかよくわかっていた。
Mは、ビジコープでソフトウェアビジネスを学んだ。
カリフォルニアに移り、フィルストラのもとで5カ月間働いたのである。
彼はプロダクトマネージャーとして新しい製品を選択し、それを売り込む仕事を手伝っていた。
そのとき、Mはビジコープの良いところも悪いところも見たし、ピジカルクのような圧倒的魅力を持つソフトウェアが生み出す金の大きさも知った。
37・5パーセントの印税率から抜け出すために、ビジコープが全権利を買い取りたいと考えていたソフトウェアはビジカルクだけではなかった。
1982年、フィルストラのもとで働いていたロイ・フォークは、いくら払えばピジプロット/ビジトレンドを売ってくれるかとMにたずねた。
Mは最初、100万ドル要求した。
100万というのはほとんどのプログラマが頭に描いている魔法の数字で、ソフトウェアを売ってくれと言われると彼らは決まって100万ドルと答える。
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